背中合わせのスケルツォ 02

「ずっと放っておいたのに、どうして突然掃除するなんて言い出したのー!」
古くなったエプロンをして、右手にはハタキ、左手にはバケツとそれに引っかけた雑巾を、まとめた髪の毛は三角巾で覆ってほこりを被らないようにという正統派ザ・お掃除スタイルで納戸にやってきたら、ドアを開けただけで溜まってたほこりが舞い上がるからそれを見ただけでもう嫌な気分。

「あきらめて掃除しなよ。もうすぐうちにおばあちゃんが来て、納戸で探し物をするからきれいじゃなきゃいけないってシルヴィが言ってたよ」
ほこりを見て立ちすくむあたしの足に絡む黒猫のエクルがそう言った。あ、シルヴィはママの名前!
「それはあたしも聞いてたから知ってる! で、あたしがちょうど家にいたから掃除してきてって頼まれたの!」
「じゃあ掃除して」
エクルの言い方がママそっくりでちょっとムカっときた。だってネコなのに。

「わかってるわよ。ほら、エクルはここにいたら名前みたいな白猫になっちゃうよ」
「白猫になったらシルヴィは喜ぶよ」
「そうしたらあたしがエクルをお風呂に入れるのよ? それでもいい?」
ママが大好きなこの黒猫は「白猫」っていう単語にちょっと喜んだけど、その後にお風呂って聞いて黙り込んだ。 そして、ぼそりとこう言ってくれた。

「サラはやさしくないからやだ」

あたしはそれを聞いてもうムカってきちゃったからエクルにケンカ腰。
「じゃあ向こうに行ってて」
「余計なものに触っちゃダメだよ。危ないから」
「もう……そんなのわかってるってば」
お目付け役を自認するエクルがあたしの剣幕に立ち去る前に小言を漏らしていく。あたしの返事も聞かずにあの猫は廊下の角を曲がって向こうに行ってしまった。

あたし、掃除に来る前にママにも同じこと言われてきた。
納戸に置いてあるものは、代々うちに伝わってきた道具がほとんどだけど、どれもこれも魔女に触ってもらいたくってうずうずしてるんだって。この家に生まれただけでもう十分魔女なんだから、サラも不用意に触ったりしないでねって。

生まれてきただけで魔女っていう意味がまずよくわかんないよ。とりあえずあたし、エクルとこういう風におしゃべりするくらいしか出来ないし。それも全部エクルにかかってるママの魔法のおかげ。

あーもう、考えても意味なさそうなことを考えるのはやめよう。みんなが言うには魔女らしいけど、別にあたし魔女じゃないし。
ため息を一つ吐き出して、面倒くさい気持ちを振り切って、掃除に取りかかることにした。出来るだけ無心になって、道具たちの要望は無視していくのがこの掃除のポイント。被ったほこりを床に落として、床を水ぶきする。無造作に置いてあるものには触らない。 整頓しようなんて考えちゃダメ。触らないったら触らない。

「だけど、魔女でもなんでもない人がここにあるものに触ったらどうなるんだろう……」
頭の中で考えてたはずのことを無意識に言葉にしていたみたい。聞いたことのない声に返事をされてそれに気付いた。そう、確かに目の前からこう聞こえた。
「魔女でもなんでもない人は、ここじゃ具合が悪くなるから掃除なんてしてられないよ」

水ぶきしていた床から焦って顔を上げたら、暗褐色の髪の男の人がさっき掃除したばかりの椅子に足を組んで座っていた。うらやましいほど真っすぐの髪に彫りの深い顔立ちはもはや恐怖を覚えるくらいに整ってる。金色の眼はこっちを少し睨んでいるようなのに、あたしは少し微笑んだ唇から目が離せない。
そうじゃなくって、えーとえーと……この人、誰?
誰かがこの部屋に入ってくる気配なんて感じてない。掃除するのに窓は開けたけど、人が入れるほどの窓じゃない。ドアも開いてるけど、家にはあたしとママとエクルしかいないはず。パパの友達? でも納戸にいきなりっておかしくない?

「たまにこっちへ来てみるのも面白いものだね。で、君はクロエの親戚?」
「…クロエ? それっておばあちゃんのこと? あなたおばあちゃんの知り合いなの?」
おばあちゃんの知り合いらしいこの人を、水ぶきの途中だったから床に膝をついたまま見上げていた。 向こうが頭のてっぺんからあたしをまるっと凝視する間のちょっとの沈黙。あたしの質問には答えてくれない。

「なんで鍵かけてんの? 持ってるものが大きすぎて怖いから?」

か、鍵? いったい何のこと? 初対面の知らない人にあたしは何を聞かれてるの?
こんな風にいぶかしげにまっすぐ見つめられた経験なんて、あたしの人生には一度もないから頭の中はもうパニックで、一体この人に何を答えたらいいのか、この人がどんな答えを期待しているのか思いつきもしない。

「うーん……これ開けちゃえば? 楽になれるよ」

カタリと木の椅子が軋む音。立ち上がったこの人にまとわりつくように空気が動く。
そしてあたしの目の前にしゃがみ込むと、整った顔が近付いてきて、目が離せずにいた唇も近付いてきて……

気付いたら知らない人にキスされていた。
柔らかくて温かい感触があたしの唇を抑えていて、それを認識した時には、もっと柔らかいものがあたしの唇を舐めていく。息が出来なくて、ちょっとだけ口を開いたら、唇を舐めていたはずの柔らかいものがあたしの舌に絡んでくる。そのうちに身体の中のどこかわからない奥の方からじんわりと上がってくるものが押し止められないくらいの塊に変わったのを感じたけれど、そこから先はわからなくなってしまった。

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