Lunisolar 10「薔薇と現」

長いキスの末に放心してカウチソファーに横たわるシルヴィアを相手にでも、破談の撤回を承諾させることができて胸を撫で下ろした。
キスしていた時は素直に俺の首に腕を回してきていたのに、終わったと思ったら慌てふためいてほどいていった。俺は別にそのままでも良かったのに。

さて、破談の撤回は貰って、レムスター公爵家の屋敷でするべき用事は済んだ。さてどうしようか、と辺りを見回す。馬乗りのままではさすがに重いだろうと持ちうる理性の全てを使って、シルヴィアのいるカウチソファーからは降りた。
が、どういうことなのかはよく分からないが、今日はどこまでも俺に都合良く出来ているらしい。天蓋付きのベッドが一台、このソファーの向こうに置かれていた。どうやら俺たちが入り込んだ部屋はこじんまりとした客間だったようだ。そしてテーブルの上に飾られているのは花瓶に活けられた薔薇。
なら、こっちも都合良く解釈しよう。薔薇の下でのことは秘密にしなければならない。そう、アンダー・ザ・ローズ。ここに薔薇が飾られているというのなら、この部屋でのことは秘密にするという公爵家からの意志だと理解する。うん、秘密……ね。

「シルヴィア」
呼びかければ、ん? と答えて頭だけを上げてこちらを見る。綺麗に整っていたはずの月の色をした髪は乱れて、髪の色によく合う薄紫のドレスも俺のせいでしわが寄っているのが逆に艶めかしい。息を整えようとして少し開いた唇も、うるんだ碧の目も、全部。あぁ、わかってんのかな、こいつ。
無言のまま首の後ろと膝の裏に腕を差し入れて、ソファーの上で放心するシルヴィアを持ち上げた。小さい頃はそれほど背丈も変わらなくて、背負うのすら大変だったのが嘘のように軽かった。かわいい声で俺の名前を呼んで「どうしたの?」と聞いてくるのは無視。

できるだけそっとベッドの上にシルヴィアを下ろして、その横に俺も寝そべる。肘を枕代わりにして横を向けば、シルヴィアはシーツの上でぱちぱちと瞬きを繰り返していた。頭の中で自分に一体何が起こっているのかをぐるぐると考えているのだろう。シルヴィアの真っすぐな髪を指先で弄びながら、何を言い出すのかと待つことにした。俺だって、抱くなら納得ずくで抱きたい。
が、シルヴィアが口にしたのは、ベッドの上に寝かせられて、その横に男がいるというその状況に全くそぐわないものだった。
「ねぇ、じゃあ最初から候補者は私だけだったの?」
「さっきも言った。お前だけ」
王太子妃候補に挙げられたということ自体がまだ納得のいかないことらしい。さっき破談の話は撤回したくせに。もっと聞くことがあるだろうと思うと、ちょっとイラッとしたのにも気づかず、シルヴィアは質問を続けてくる。
「じゃあ、なんで私だったの?」
「まず隣国と直轄地の間の要衝を領地とするレムスター公爵の娘であること。婚姻によって隣国との関係を牽制することが出来るようになる。次にレムスター公爵領内の隣国から直轄地を抜けて海まで注ぐ河川を利用した交易が活発になること。領地での牽制はするが婚姻によって交易の後ろ盾は王家になるから、この交易での利益によって隣国との関係も悪くならない。公爵家の娘は王太子の2歳年下で、年齢的にも婚姻を結ぶにちょうどいい。この辺りが俺とお前が婚約する理由だろ」
質問の答えになる理由として俺の口から挙げられたものが全て、過去に何度も聞いたことのある話だったことに、目に見えてシルヴィアの顔がしょんぼりとしていったのが愛らしく思えて、ついに俺はその後ろに「本当のこと」を付け足してやることにした。
王太子妃候補が複数いて、その人たちよりも自分の所作が劣っていて、家庭教師たちの厳しさについていけないから辞退するなんていう理由が、どう考えてもシルヴィアの嘘でしかないのは、俺にはよくわかることだ。少なくともそれが全部嘘じゃなかったとしても、それはシルヴィアの本当の理由じゃない。

「対外的にはな」
予想通り、俺が付け足した一言に反応して、しょんぼりとした顔が一転、目を見開いて期待を込めた顔になる。昔からこうやってくるくると変わる表情は変わらない。そして、がっかりした後に良いことを聞いて喜ぶ時のシルヴィアの顔が一番かわいい。

「気に入ってるモノを手に入れようとしたら、たまたま都合が良かっただけだ」

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