Lunisolar 03「たどる紐の先」

しばらくぼんやりと青い空を眺めていたら、不意に私と空の間に遮るものが現われた。
「都に来ると不機嫌ばっかりね、シルヴィア」
「かあさま!」

これまたお上品には程遠い勢いでがばりと起き上がると、私の横に出来たスペースにかあさまはお座りになられた。私とかあさまの間には、私と空とを遮ったかあさまの日傘があって、2人のために影を作ってくれている。
「シルヴィアってばトリスタン王子との婚約を破棄するんですって? とうさまがすっかり頭を抱えてらしたわよ」
「かあさま、違うんです。婚約を破棄するのではなくて、王太子妃候補からの辞退です。婚約はまだ結んでいないでしょう?」
私の言い分に「一緒よ」と返したかあさまは、ふふふとお笑いになられている。
「そうなると、シルヴィアはどこにお嫁に行きましょうね。私もとうさまもシルヴィアがトリスタン王子に嫁いでくれるのが一番だったのだけど、シルヴィアが嫌なら仕方ないものね。トリスタン王子が駄目なら、隣の国のレイノルド王子にお嫁に行くのはどうかしら?」
「どうして王族ばかりなんですか!」
「だってあなた、レムスター公の娘なんですもの」
やっぱりふふふとお笑いになっているかあさまの表情を見ると、レイノルド王子の名前を出したのは、かあさまのご冗談のようだ。
かあさまは私の額に張り付いた髪の毛を丁寧に払ってくださって、侍女が差し出してきたショールを肩に掛けてくださった。庭に出てきた時よりも風は少し冷たくなってきていたから、素直に頂くことにした。

「じゃあシルヴィア、どうして王太子妃候補になったのかと、どうして辞退することにしたのかを、かあさまに教えてちょうだい」
「え? かあさまはどうして私が王太子妃候補になったのかはご存じでしょ?」
「だめよ、シルヴィアが忘れてることがあったらいけないもの」
かあさまに促されて、しぶしぶ私は候補と辞退の話をし始めた。
候補になった理由は複数あって、幼少時から夏の離宮で遊び相手を勤めていて、トリスタン王子と馴染みが深かったこと、国の要衝を領地とするレムスター公爵の娘であること、レムスター公爵領内の河川を利用した交易が活発になることが主な理由だ。
「辞退の理由は……」
「理由がないのに辞退はしないでしょう? シルヴィアは何を不満に思ったのかしら?」
「だって、王妃さまになるには、国で一番の淑女でなければいけないのでしょう? それは私には無理だもの。この間、城に招かれた時に伯爵令嬢のエレオノーラと侯爵令嬢のレイチェルと一緒にお茶をしたの。彼女たちってば凄いのよ。私じゃ彼女たちの足元にも及ばないってわかったの」
「そんなに行儀作法の先生たちは厳しかったかしら?」
「ほんの少しの角度にすごくうるさいの。右手はもう少し斜めに、左手はまっすぐとか言われたりしたわ」
「そうなの?」
「そうなの!」
その後にかあさまは何かを口にしそうにしたけれど、軽く首を振って小さく頷かれた。話をするのは止めてしまわれたらしい。すっと立ち上がると、私のほつれていた髪を耳に引っかけて整えてくれた。頬を掠めていく手袋をしたかあさまの手がくすぐったい。
「じゃあ、かあさまは戻るわ。シルヴィアの不満は行儀作法の先生たちのせいじゃなさそうね」
「国一番の淑女にはなれないからなの!」
私の言葉を聞いてまたふふふと笑われたかあさまは、冷える前に戻ってきなさいね、と言い残して行ってしまった。

トリスタンとは幼馴染で、実家の領地は要衝で、結婚すれば交易も活発になりそうで。
でも、淑女じゃないお妃さまなんて、トリスタンはいらないよね。

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